【都電荒川線】新型車両(8800形)出発式に行ってきました(H21.4.26)
都電荒川線に新型車両が導入されました。新型車両の運転に先立ち、都電荒川線荒川電車営業所では平成21年4月26日に出発式が開催されました。
私のホームページ「列車とともに」では8800形出発式の訪問記をアップしましたので、ぜひご訪問ください。
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都電荒川線に新型車両が導入されました。新型車両の運転に先立ち、都電荒川線荒川電車営業所では平成21年4月26日に出発式が開催されました。
私のホームページ「列車とともに」では8800形出発式の訪問記をアップしましたので、ぜひご訪問ください。
弊ブログで、N-02Aの不具合で修理に出した話題をご紹介しましたが、本日ドコモショップから修理完了の連絡がありました。
不具合の原因についてドコモショップのスタッフの話によると、修理部署では不具合の症状が発生せず、原因は不明とのこと。メールの容量やその他、複合的な原因により再起動が発生したのではないかとのことでした。
ただし、修理に出すときに私がドコモショップのスタッフの目前で不具合の症状を再現したため、携帯電話の基盤を交換させていただいたとのこと。しばらくこの状態で使用していただき様子を見てほしいとのことでした。
ネットを検索してみても同様の不具合を紹介しているサイトはないため、私の携帯電話固有の不具合だったのかもしれませんね。お騒がせしましたm(_ _)m
前回の弊ブログでお知らせしたとおり、平成21年4月12日は「桃源郷パノラマ号」を見物するために西荻窪駅に向かいました。
桃源郷パノラマ号通過後、しばらくホームにいると、現在2編成のみが残る中央快速用201系を目撃しました。
まずは桃源郷パノラマ号通過後、1分もしないうちに上り線路を走る201系を発見。H4編成を使用した782T列車でした。
782T列車が通過してから約6分後、こんどは下り路線のはるか遠くにオレンジ色の車両を発見。H7編成を使用した849T列車でした。しかもこの列車、種別幕に堂々と「青梅特快」の文字が掲げられていました。
わずか数分の間に2編成ある201系の両方を見ることができるとは思いませんでした。少し得した気分に。
約1か月前にNTTドコモのFOMA「N-02A」に機種変更しました。私がマイショップ登録しているドコモショップで「N-02A」のFOMA→FOMAの機種変更が22,890円で販売されていたので、思わず購入してしまいました。
しかし、この機種。以下のような操作をすると再起動してしまうことがわかりました。
1.オリジナルロックの「発信・メール送信」→「メール送信」→「メールアドレス直接入力」をチェックし、オリジナルロックを有効にする。
2.メールの「受信メール一覧画面」でいずれかのメールを選択し、「返信」すると・・・。
画面が消えてしまい、約20秒後くらいに再起動してしまうのです。
「受信メール一覧画面」ではなく、「受信メール詳細画面」から返信すれば再起動は起きないのですが、少し気になりドコモショップに持っていきました。
ドコモショップの店員さんの話では同様のクレームはこれまで受けていないので、修理預かりさせてほしいということでした。
私の端末のみの不具合なのか、どの端末でも発生するものなのかわかりませんが、「N-02A」をお持ちの方、いかかでしょうか?
もしかすると他のN端末(「N-01A」「N-03A」「N-04A」など)もソフトはほぼ同様と思いますので、上記のような現象が起きるかもしれませんね。
平成21年4月25日に開催される「第1回湘南いせはら芸術花火大会」ですが、現在のところ当日の天気予報がよくありませんね。
公式HPによると「雨天決行」ということですので花火大会は開催されるのでしょうが、もし雨であれば観覧はキャンセルとさせていただこうと思っています。残念だなぁ~
2009年4月から6月にかけてJR東日本と山梨県等が協力して、[花と名水、美し色の山梨へ~もっと、ずっと好きになる山梨~]キャンペーンが開催されています。
キャンペーン実施に伴い、JR中央本線でも臨時列車が多数運行。私は4月5日、臨時列車のひとつ、「レトロ桃源郷号」を見物するため、塩山駅に向かいました。
「レトロ桃源郷号」は塩山~甲府間を運転。4両の旧型客車をEF64電気機関車が挟み込むようにして運転されました。上の写真は甲府方向の電気機関車[EF64 36]です。
上の写真は新宿方向の電気機関車[EF64 39]です。
専用のヘッドマークも用意されていました。
こちらは4両の旧型客車のうちの1両です。これらの旧型客車および2両の電気機関車とも高崎車両センター所属車です。
私は見に行くことはできませんでしたが、4月18、19日には甲府~小淵沢間で「レトロ八ヶ岳高原号」が運転されており、おそらく同じ車両で運転されたものと思われます。
今週末、神奈川県伊勢原市で「湘南いせはら芸術花火大会」が開催されます。
公式ホームページを見ると市民有志による手作り感のある花火大会のようですね。
今回が第1回の開催ということで、花火打上げ時間は約40分、打上玉数は不明ですが、今後第2回、第3回と続いていくことを期待します。
花火大会会場近くの渋田川では芝桜を見ることができるとのこと。私も芝桜と花火の両方を楽しみたいと考えています。
☆第1回湘南いせはら芸術花火大会 開催状況☆
○開催日時 平成21年4月25日(土) 18:45~19:40
○開催場所 伊勢原駅から東南東1.6kmの水田地帯
○アクセス 小田急小田原線伊勢原駅から徒歩約20~30分
○H P 湘南いせはら芸術花火大会実行委員会
※開催日時・場所等は必ずご自身で確認のうえお出かけください。
過去2回にわたりご紹介していきました『日本最西端の駅を目指す旅』で乗車した列車も今回が最終回となります。
1枚目の写真は熊本市交通局9700形路面電車。平成21年3月14日に熊本城前から熊本駅まで利用しました。日本初の超低床式路面電車で2両編成の連接車です。運転手の他に2両目には車掌が配置されており、2両目からでも乗降ができます。
2枚目の写真はJR九州220形。1両編成のディーゼル車両です。3月14日、宮地~豊後竹田で乗車しました。
3枚目の写真はJR九州415系です。依然、首都圏でも常磐線で活用されていましたが、現在は新型車両に置き換えられ、見ることはできません。帯色も常磐線で走行していたものとほぼ同様であり、懐かしさを感じます。
今回の旅では、3月15日の中津~小倉、16日の小倉~下関で乗車することができました。
4枚目の写真はJR西日本117系です。今回の旅では3月16日に下関~新山口で乗車できました。
かつてこの車両は関西で新快速として活躍していましたが、現在はローカル輸送に使用されています。新快速で活躍していた時代は全座席が転換(一部固定)クロスシートでしたが、私が今回乗車したJR九州の117系は扉付近は一部ロングシートに改造されていました。
また16日には米原~大垣でJR東海所属車の117系にも乗車しましたが、こちらはカラーリングも異なり(オレンジの帯)、座席も新快速で活躍していた時代と同様、全座席が転換クロスシートのままの状態で利用されています。
「平成21年春 日本最西端の駅を目指す旅」旅日記を私のホームページ「列車とともに」のこちらで公開しています。ぜひご訪問ください。
前回に続き、『日本最西端の駅を目指す旅』で乗車した列車をご紹介していきたいと思います。
1枚目の写真は平成21年3月13日に乗車した松浦鉄道MR-600形です。車内には4人掛けのボックスシート、1人掛けの転換クロスシート、ロングシートと多彩な座席が配置されています。
2枚目、3枚目の写真はJR九州200形です。
左側の青い車体はシーサイドライナー用で主に大村線・長崎本線・佐世保線などで運用されており、私は3月12日の早岐~佐世保、13日の佐世保~長崎で乗車しました。
右側の赤い車体は豊後竹田~大分で乗車することができました。
4枚目、5枚目の写真は長崎電気軌道(長崎市電)の路面電車。長崎駅前から原爆資料館等がある松山町電停の往復に利用しました。
6枚目の写真はJR九州817系です。下にご紹介している815系とともにJR九州内のローカル線に広く運用されています。815系がロングシートであるのに対し、817系は転換クロスシートであることが大きく異なるところでしょうか。
817系は、座席には木材と黒色の革張りが使用されていて一般車両とは思えないほどの高級感があります。また、出入り口付近は円形につり革が配置されていたり、折りたたみ式の補助いすがあるなど、特徴的なデザインとなっています。いつか、弊ブログでも特集したいと思っています。
今回の旅では3月13日の長崎~鳥栖、大牟田~熊本で乗車することができました。
7枚目の写真はJR九州815系です。北九州の電化区間で広く活躍しています。車内はロングシートですが、ひとり分ずつ座席の背もたれと座布団部分が独立していて、ユニークなデザインです。
今回の旅では3月13日の鳥栖~大牟田、15日の大分~中津などで乗車することができました。
続きは次回で。
「平成21年春 日本最西端の駅を目指す旅」旅日記を私のホームページ「列車とともに」のこちらで公開しています。ぜひご訪問ください。
『日本最西端の駅を目指す旅』では青春18きっぷを使用して東京~九州を往復。数多くの列車に乗ることができました。
旅日記本編は私のホームページである「列車とともに」のこちらに公開していますが、今回から何度かに分けて今回の旅で乗車した列車たちをご紹介していきたいと思います。
1枚目の写真。左側の列車は平成21年3月12日に小田原~大垣に乗車した「ムーンライトながら」。JR東海373系でが使用されていました。
写真左側は「ムーンライトながら」からの乗り継ぎしたJR西日本221系。大垣~米原間を利用しました。
2枚目の写真はJR西日本を代表する223系。新快速を中心に広く運用されています。私は今回の旅で3月12日、16日に米原~相生を利用しました。時速130km運転と転換クロスシートのおかげで関西での移動はなかなか快適です。
3枚目の写真はJR西日本115系。首都圏では多くが新型列車に置き換えられ、廃車となってしまいましたが、岡山・広島・山口地区ではまだまだ主力として利用されています。
車内は一部を除き転換クロスシートに改造されており、快適に利用できます。
今回の旅では3月12日に相生~下関、16日に新山口~相生で乗車しました。
4枚目の写真はJR九州415系。こちらも首都圏ではかつて常磐線で活躍していましたが、現在は土浦以北でのみの運用となり、上野ではもう見ることのできない車両です。
下関~門司は直流で九州内は交流のため、交直流どちらでも走行ができる415系が活用されているようです。
今回の旅では3月12日に下関~門司、鳥栖~早岐で乗車することができました。
5枚目の写真はJR九州813系。鹿児島本線を中心に混雑路線で活躍しています。この列車も転換クロスシートのため、長時間の利用でも快適です。
今回の旅では3月12日に門司~鳥栖で乗車することができました。
続きは次回に。
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いよいよ明後日に迫った「2009外秩父七峰縦走ハイキング大会」ですが、都合により参加を取りやめることになりました。
ご参加のみなさん、応援しています。完歩めざして頑張ってください!!
前回は熊本駅でのさよならブルートレイン関連の話題をお知らせしましたが、今回は小倉駅で見つけたものをご紹介しましょう。
『日本最西端の駅を目指す旅』の帰り道である小倉駅でも平成21年3月16日現在、さよならブルートレインを記念し、ご覧のようなパネル展が開催されていました。
今回廃止となった「富士・はやぶさ」が主に九州内で活躍している写真が並べられていました。
「富士」の写真とともに、「富士」の基本データや主な歴史も添えられています。
こちらは「はやぶさ」の写真と基本データ、主な歴史です。
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『日本最西端の駅を目指す旅』は平成21年3月12日~16日にかけての旅でした。折しも九州ブルトレ最後の「富士・はやぶさ」の最後の運転日と重なり、九州各地では「さよならブルトレ」のイベントが行われていました。
今回は熊本駅で見つけた「さよならブルトレ」関連の話題をご紹介していきましょう。
1枚目の写真は熊本駅にあった「さよなら はやぶさ」の看板です。この写真を撮影したのは3月14日。熊本発の最終「はやぶさ」は昨日出発しました。
しかしこの日は東京発の「はやぶさ」が到着することもあって、私が熊本駅を訪れたAM9:40頃には、「はやぶさ」を待っていると思われる人がチラホラ見受けられました。
そんな私はというと、熊本駅をAM10:12に出発する「あそ1962」に乗車したため、「はやぶさ」の到着を出迎えることはできませんでした。
「さよならブルートレイン」に関連し、熊本駅の売店の一角では限定グッズを販売していました。
こちらは「さよなら はやぶさ 記念弁当」です。
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平成21年3月14日のダイヤ改正により、ムーンライトながらは臨時列車となりました。
『日本最西端の駅を目指す旅』の帰りにはその臨時化されたムーンライトながらに乗車する機会に恵まれました。
大垣駅の案内板です。ダイヤ改正後の臨時ムーンライトながらは大垣駅を22:48に出発します。
臨時ムーンライトながらは4番線から出発します。ホームには「臨時 ムーンライトながら 東京行き ○号車」という乗車案内が新たに表示されていました。せっかく新しくされた乗車案内ですので、今後とも「ムーンライトながら」が長く運転されることを期待しましょう。
臨時ムーンライトながらは189系が使用されます。行先表示窓には「ムーンライトながら」の表示がありましたが、ヘッドマークは「快速」とシンプルなもの。臨時化されたとはいえ、年間100日程度は運転されますので、専用のヘッドマークを用意してほしいものです。
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『日本最西端の駅を目指す旅』の帰り道、下関駅でこんなものを見つけました。
ご覧の写真は平成21年3月16日。ブルートレイン「富士・はやぶさ」は3月14日で廃止となりましたが、まだ乗車案内が撤去されず残っていました。
いつかは撤去されるものと思いますが、しばしの「ブルトレ遺産」と言えそうです。
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『日本最西端の駅を目指す旅』で由布院~大分を走る「トロッコ列車」に乗車しました。旅日記本編でもトロッコ列車の写真を掲載していますが、他にも多くの写真を撮影しましたので、今回一挙にご紹介しましょう。
トロッコ列車は貨物車両を改造したトロッコ客車をディーゼル車で挟み込むような編成となっています。1枚目の写真は大分方面の先頭列車(1号車)「キハ58-569」です。ちなみにもう一方の車両(5号車)は「キハ65-36」が使用されています。
トロッコ列車の先頭部にあるヘッドマークです。
ディーゼル車両には「TORO-Q」「トロQ」「トロッコ」など様々なロゴが描かれています。
続いてはディーゼル車両内部を見ていきましょう。
1号車(キハ)はリクライニングシートとなっています。これが座席は大きくリクライニングしてフットレストもあるなどグリーン車にも劣らない設備となっています。おそらく、TORO-Q改造時に座席もリニューアルしたのでしょうね。そのため、窓と座席の位置が一致しない部分もあります。
一方、5号車は一般のクロスシートです。
最後にトロッコ客車部をご覧いただきましょう。
トロッコ客車はもともと貨物車両を改造したものです。加減速時のショックやレールの継ぎ目を通過するときの振動などが直接伝わってきますし、風や走行時の音がすごくて決して乗り心地の良いものではありません。
この車両は由布院~南由布を「トロQ」列車として運転される場合、全車自由席で乗車時間は7~8分。
しかし、大分~由布院を結ぶ「トロッコ列車」で運転された場合は、指定席を確保しないと乗車できません。さらに乗車時間は1時間30分以上かかります。正直、私はトロッコ車両には30分くらいしか乗らず、残りは快適なディーゼル車両でうたた寝してしまいました。
ちなみに、「トロッコ車両」の指定席は1号車or5号車に割り当てられるようです。そして2~4号車のトロッコ車両は指定席を持つ乗客であれば、自由に利用できます。そして1号車と5号車の座席のグレードが大きく異なりますので、指定席を予約するときは1号車にした方がいいでしょう。
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『日本最西端の駅を目指す旅』で由布院を訪れ、駅周辺を散策しているとSLがある公園を見つけました。
湯布院町中央児童公園にたたずむSLは「D51 1032」。いつからここに置かれているのかわかりませんが状態は悪く、前方には補強でしょうか? SLに柵のようなものが刺さっています。
また、以前は運転席にも入ることができるように階段が設置されていますが、私が訪れたときには階段部分に鎖が巻かれていて中に入れないようになっていました。
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『日本最西端の駅を目指す旅』では豊肥本線を各駅列車で大分駅を目指していたのですが、途中の「緒方駅」でこんなものを見つけました。
駅の改札口前で乗降客を見送るネコが一匹。和歌山電鐵貴志駅で有名な「たま駅長」のような存在になることができるでしょうか?
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『日本最西端の駅を目指す旅』で豊肥本線「豊後竹田駅」を訪問した私ですが、列車が駅に到着すると「荒城の月」が流れてきました。
作曲を担当した「滝廉太郎」が駅周辺にある岡城址をイメージして作曲したということから、駅メロとして採用されたようです。
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ご覧の写真は『日本最西端の駅を目指す旅』で阿蘇神社を訪問したとき、神社の近くにあった小さな郵便ポストです。
看板には「日本一のポスト」と書かれています。何が「日本一」なのか? その理由・由来に関する説明が木を見つけることはできませんでした。
どなたか「日本一」の理由をご存じの方はいらっしゃいませんか?
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『日本最西端の駅を目指す旅』では「あそ1962」で宮地駅まで向かいました。宮地駅での乗り継ぎ時間約1時間を利用し、駅から約15分の場所にある「阿蘇神社」を訪問しました。
阿蘇神社の近くにあったのが、ご覧のN700系先頭部をかたどったオブジェです。オブジェの下には「九州新幹線DE阿蘇が近くなる!」というメッセージもありました。
ここでふと気づいた点がありました。N700系は現在のところ東海道・山陽新幹線でのみ走行している車両。九州新幹線で使用されているのは800系です。
九州新幹線の博多~新八代が開業された時点で山陽新幹線と直通運転されることは以前から噂されていました。しかし、直通運転時の車両がN700系ベースの車両になるということが正式発表されたのは平成19年10月だったと記憶しています。
もしこのオブジェがそれよりも前の時点で作成されていたのであれば、作成者は先見の明があったということでしょうか?
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『日本最西端の駅を目指す旅』で乗車した「あそ1962」の走る豊肥本線「立野駅」には、今も三段式スイッチバックが残り、名物になっています。
旅日記でも立野駅でのスイッチバックについて話題にしていますが、ここではもっと詳しくご紹介していきたいと思います。
上の写真は立野駅からスイッチバック線の方向を見たものです。写真左側の線路が熊本方面、写真右側はスイッチバック線を経由し、宮地方面に向かう線路です。
ここからは立野駅を出発からスイッチバックを通過する様子を、「あそ1962」の先頭車両から撮影した写真とともにご紹介します。
1枚目の写真は立野駅を出発したところ。立野駅を出発した列車はこれまでの進行方向とは逆向きに走り出します。
2枚目の写真はポイントを通過し、向かって左側の線路に渡ったところ。立野駅は遙か前方、かなり小さくなりました。
さらに「あそ1962」号は逆向きに走ります。走行中、列車は坂道を上り続け、熊本方面の右側線路が右下方向に離れていきます。
左側から線路が近づいてきて、これまで走行してきた線路とポイントで重なります。「あそ1962」はスイッチバック線に入り、減速して停車。写真はまさにスイッチバック線で停車したところです。
再び「あそ1962」は進行方向を変え、ポイント左側の線路を進み、次の駅を目指し走り続けます。
このように三段式スイッチバックは「Z」の文字を描くように列車がジグザグに進み、急坂を登っていきます。昔は多くの駅にスイッチバックがあったそうですが、列車の性能が上がり、多少の急坂であればそのまま登っていけるようになり、このような施設は現在では貴重となっています。
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『日本最西端の駅を目指す旅』でたびら平戸口に到着した翌日、私は熊本~宮地を走る観光列車「あそ1962」に乗車しました。旅日記本編では「あそ1962」の写真を何枚か公開していますが、他にもたくさんの写真を撮影しました。
今回は旅日記本編では掲載しきれなかった写真を一挙公開、「あそ1962」を特集します。
まずは「あそ1962」の1号車(宮地方車両)「キハ28-2401」から。2号車(熊本方車両)「キハ58-139」は『日本最西端の駅を目指す旅』旅日記本編に掲載していますので、ご覧ください。
車体には「あそ1962」のロゴが随所に見ることができます。
サボも黒色だと趣(おもむき)があります。
続いては「あそ1962」の車内をご覧いただきましょう。
ご覧の写真は私が乗車した2号車の車内の様子です。シートモケットも落ち着いた色調です。1号車のシートは2号車とは異なるデザインでした。
参考までに、「あそ1962」が走る豊肥本線は阿蘇山の雄大な風景が楽しめます。阿蘇山は熊本から出発した場合、進行方向右側に見ることはできます。
「あそ1962」は全車指定席です。阿蘇山が見える方向を希望する場合は偶数番号を。進行方向窓側を希望する場合は熊本発→宮地行き」の場合はD席、「宮地発→熊本行き」の場合はA列ですので、参考にしてください。
例)熊本発→宮地行きで、阿蘇山が見える進行方向の座席は偶数番号D席(10番D席など)です。
車内では昭和30年代に放映されていたニュースやCMなどが液晶テレビから流れています。
車内には「サイクルスペース」と呼ばれる場所があります。「自転車持込利用券」を入手すれば自転車が持ち込めるほか、展望スペースとしても利用できます。
車内には「あそ1962の旅」という小冊子が置かれていて、「あそ1962」が走る沿線の案内が掲載されています。
また、車内にはシャチハタ式の記念スタンプもあり、小冊子裏面に押印することができます。
「平成21年春 日本最西端の駅を目指す旅」旅日記を私のホームページ「列車とともに」のこちらで公開しています。ぜひご訪問ください。
「日本最西端の駅を目指す旅日記」本編では、日本最西端の駅である「たびら平戸口」を駅前の写真を掲載しましたが、今回は駅ホーム側から見た駅の姿をご紹介しましょう。
列車を降りると正面には「たびら平戸口」の駅舎が乗客を出迎えてくれます。
さすが日本最西端の駅。駅構内のあちこちに「日本最西端の駅」を示す看板が掲げられています。
○日本最西端の駅「たびら平戸口」に関連する話題は他にも弊ブログで公開していますので、よろしければご覧ください。
1.日本本土最西端駅「たびら平戸口」にある鉄道博物館
2.日本最西端の駅訪問証明書
また、「平成21年春 日本最西端の駅を目指す旅」旅日記を私のホームページ「列車とともに」のこちらで公開しています。ぜひご訪問ください。
「日本最西端の駅を目指す旅」で目的地のたびら平戸口駅に到着した私は、記念として「日本最西端の駅訪問証明書」と「硬券入場券」を購入しました。
まずは「日本最西端の駅訪問証明書」からご覧ください。
表面は紙がきっぷの形にくり抜かれていて、駅舎と松浦鉄道MR-600形車両が描かれています。
表面の紙をめくるとこんな感じです。
上の写真は訪問証明書の裏面。「たびら平戸口駅」のスタンプと、東西南北の最端駅が記載されています。スタンプの図柄は平戸大橋と花(平戸ツツジ?)と松浦鉄道車両が並んで描かれたもの。
実は私がたびら平戸口駅に到着した平成21年3月13日でこの訪問証明書は販売が終了。翌日からは新しい図柄の訪問証明書が販売されるそうです。
続いては「硬券入場券」です。
裏面には「鉄道日本最西端駅」との表示があります。
訪問証明書には硬券入場券が挟めるように小さな切り込みがあります。訪問証明書と硬券入場券はセットで購入すると良いでしょう。
「平成21年春 日本最西端の駅を目指す旅」旅日記を私のホームページ「列車とともに」のこちらで公開しています。ぜひご訪問ください。
「日本最西端の駅を目指す旅」で旅の目的である日本本土最西端駅「たびら平戸口」に到着。「たびら平戸口」には鉄道博物館がありましたので、ご紹介しましょう。
鉄道博物館は「たびら平戸口」の駅舎に隣接しています。
まずは外部の展示物から。踏切や腕木式信号機、貨車が展示されています。特に貨車は錆び付いていて状態は良くありません。
鉄道博物館の入口です。
鉄道博物館内部にある展示物です。
松浦鉄道が国鉄時代に使用されていたと思われる「タブレット装置」などの資料が展示されています。
こちらも国鉄時代に使用されていたと思われる駅名板や行先標(サボ)が展示されています。その他にも年代物のきっぷ等が公開されていました。
「たびら平戸口駅」では、日本最西端駅訪問証明書や硬券入場券、お守り付きっぷをはじめ、携帯ストラップやスポーツグッズなどの様々なグッズが販売されています。
私はたびら平戸口駅訪問の記念に日本最西端駅訪問証明書(200円)と硬券入場券(160円)を購入しました。
「たびら平戸口駅」の鉄道博物館はこぢんまりとした施設ですが、貴重な資料がそろっていますので、訪問の際にはぜひ顔を出されてみてはいかがでしょうか?
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